杉野マネージャーにわからないように、息を深く吸って吐き出す。胸が痛い。スイートルームに宿泊している大くんの部屋に向かう。一般客とは別のエレベーターがあり、裏道のようなところを通ってエレベーターに辿り着いた。「VIPはすごいよな。同じ人間で同じ日本人なのに、いつも芸能人は違う世界の人だと感じるよ」エレベーターの中も違う気がする。なんだか、絨毯がふかふかしているのだ。ドアが静かに開くと、大きな扉がいくつか見えた。ゆっくり歩いて行く。どの部屋に大くんはいるのだろうか。「ここだ」待ってと言いたかったけれど、そんなことは許されず。躊躇なくチャイムを押す杉野マネージャー。怖くて帰りたい。どうしよう。あと数秒後に、会ってしまうのだ。もう、逃げられない……。覚悟を決めていたつもりなのに、こんなにも心が揺れるなんて思わなかった。私は今でも、大くんを好きなのだろうか?ドアがガチャっと開く。ドキッとすると出てきたのは池村マネージャーだった。「おはようございます。本日はお世話になりますがよろしくお願いいたします」「お迎えに上がりました。よろしくお願いします」杉野マネージャーが言って頭を深くさげた。「少々お待ちください」冷静な口調で挨拶をして中へ入って行った。数分、待っていた。自分の震える呼吸が聞こえてくる。杉野マネージャーは「おいおい、安心しろ」と言って笑っている。「スマイルだぞ、初瀬」なんて言われてしまうほど、顔が強張っているのかもしれない。心臓が痛い。息が苦しい……肺にスライムが流れこんできたような、べっとりとくっついて、まとわりついて離れないようなしつこい感覚。カツカツカツと足音が聞こえてくる。目を背けてはいけない。仕事なんだからしっかりしなきゃと思い、ドアをじっと見つめる。もう、過去に囚われないで生きていくんだ。真っ直ぐ歩いて行くんだから。ドアノブが降りると、扉が開かれた。「お待たせしました」池村マネージャーの後ろに見えるのは、サングラスをした芸能人オーラを放っている男性がいる。眩しい。オーラという光が見える気がした。二人がゆっくりと出てくる。私は思わず一歩、下がってしまう。しっかりしなきゃと気持ちを落ち着かせて平然を装った。「お目にかかれる日を楽しみにしておりました。杉野と申します。お世話になります。よろし
「紫藤大樹と申します。よろしくお願いします」丁寧な口調で明るく爽やかに挨拶をした。芸能人オーラを放っているが嫌味っぽくない誠実な対応を見て、大くんらしいと心でそっとつぶやく。昔のまま変わっていないのかもしれない。大……く……ん。思わず涙があふれそうになるのをなんとか抑えつつ彼のことを見つめていた。視線がゆっくりと移動して私に向けられる。目が合った。間違いなく、私が過去に愛した大くんだ。映像が一時停止されたように時が止まったような気がした。睨まれた感じがしたのは気のせいだろうか。名乗らないわけにいかず、震える手で名刺を差し出す。「初瀬美羽と申します。よろしくお願いします」受け取った大くんは、黙って名刺を見つめる。噛み締めるようにじっと名刺を見て無言になるから、ドドドっと心臓が変な動き方をした。すると、大くんは完璧な作り笑顔を向けた。「たしかに。キミ、真っ白な羽みたいだね」はじめて名前を教えた日と同じことを言ったのだ。きっと、わざと。あの笑顔も嘘だ。営業用の偽りの表情だ。今私は過去に愛してたまらなかった人と目を見つめられて会話している。忘れたくていろんな努力をしたけれど私の心の中から消すことはできなかった。もう十年も時間が流れているのに、私の記憶に細胞に彼のことがこびりついて消すことができない。色んな感情が一気にあふれ出す。――やっぱり、この仕事、無理だよ。どうしよう、どうしよう。「よろしくお願いします。紫藤大樹です」ゆっくりと伸びてきた手。大きくて指が長い大好きだった手。この手で頭を撫でてくれて、背中を擦ってくれて、抱きしめてくれた。過去の映像が頭の中で映画のように流れてきて私は思わずフリーズしてしまった。「初瀬」杉野マネージャーが肘で突いてきた。そこで意識が戻ってきて私は握手を求められているのだと気がつく。触れるなんて恐れ多くてできない。大くんは笑顔だけど、ものすごい威圧感だ。困っている私の反応を楽しんでいるのだろう。「初瀬、紫藤さんが素敵すぎて驚いたのか?」手を出せずにいると場の空気を和ませようと杉野マネージャーが冗談っぽく言ってくれる。今日はスケジュールがハードだ。ここで躊躇している場合じゃない。意を決して大くんに手を差し出すと、大きくて綺麗な手に包まれた。懐かしい肌の感触だ。(痛いっ)びっ
* * *「それ……セフレなんじゃないの」セフレ。まさか、私に限ってそんな破廉恥な関係はありえない。パニクっている私を呆れた顔で見ている真里奈。カフェの騒がしい音すら耳に入ってこない。七月から九月の間はレコーディングがあったようで、会いに来るのは夜中ばかりだった。そして、家に来るたびに「充電」と言って紫藤さんは、私を抱いたのだ。そのことを真里奈に相談すると、セフレだと言われてしまった。「都合のイイ女ね。残念ながら」「でも、悪い人じゃないっ。すごく優しいし」大切に思っている人のことを悪く言われるのがなんだかすごく腹が立つ。真里奈も私のことを思って言ってくれているのだろうけど、ついついムッとして言い返してしまう。「ふーん。じゃあ、付き合っているんじゃないの?」今まで大くんと過ごした日々のことを逡巡してみる。「好きって言われたこと、ない」「じゃあ、聞いてみたら?」「き、聞けるわけないでしょ」ズルズルと抱き合うだけの関係を続けてしまうのは、自分でも良くないと思っている。でも本当の気持ちを聞いてしまって悲しい結論だったら私はすでに耐えられなくなっている気がした。それなら現状維持でもいいとさえ思いはじめている。「今度会わせてよ」「う、うん。聞いてみるね……でも最近仕事がすごく忙しそうだからなかなか難しいかもしれないなぁ」「そうなんだ」会ってもらうのはいいけど、真実を知るのは怖い。紫藤さんに会ってとお願いしたら「お前はセフレだ」って言われるかもしれない。真里奈とカフェを出ると、秋らしい風が吹いていた。十月になり、だんだんと日が暮れるのも早くなった気がする。テレビをつけると、COLORを見る日が多くなっていた。十一月に新曲が発売されることで宣伝をしているみたいなのだけど、COLORのメンバー赤坂成人さんが俺様の役でドラマに出ていて人気が出てきたらしい。私は相変わらず、カラオケにいた女の人の話は聞けないまま過ごしている。大学生になって一人暮らしをして、バイトをして、紫藤さんにバージンをあげて、半年前まではまるで子供だったのに、大人になった気がした。COLORのホームページを見ていると、紫藤さんの誕生日が書かれていた。十月二十日、あと十日だ。好きな人に何かしたいと思うのは乙女心だ。私と六日しか変わらないのだと知
バイトを終えて家に戻ると、母から着信が入った。「もしもし」『バイト終わった?』「うん」『誕生日おめでとう。もう十九歳かぁ』「ありがとう」『美羽が生まれた日は秋晴れでね。雲が美しい羽に見えたから美羽にしたのよ』誕生日祝いの電話がかかってきた。毎年聞かされる話なんだけど、なんだか心が温かくなるのだ。「お母さん、産んでくれてありがとう」『あら、嬉しいことを言ってくれるのね。いっぱい勉強して立派になるのよ』「うん、じゃあまた連絡するね」電話を切ってのんびりしていると、部屋のインターホンが鳴った。きっと紫藤さんだ。嬉しい反面私は友達に言われた言葉を思い出しどうするべきなのか悩んだ。今日は求められても拒否をしてみようかな。交際しているわけではないし、断ったらどんな反応をするのだろうか。そんなことを考えながら覗き穴を確認するとそこにはやはり紫藤さんが立っていた。「ただいま、美羽」玄関に入るなりギュッと抱きしめられると抵抗できなくなってしまう。それほど、私は紫藤さんに惚れている。悔しい……。「美羽、会いたかった」自然とキスをされてそのまま布団へと連れて行かれる。寝かされて首筋を舐めてくる。ペロペロと子犬が甘えるように、ピッタリとくっつかれた。至近距離で目が合うとドキッと心臓が動く。今日もすごくかっこよくて目のやり場に困ってしまった。好きな人とセフレ関係だなんて、なんだか切ない。紫藤さんの手は私の太ももに移動しだすと同時に抵抗するためガバっと起き上がった。「今日はそういうこと、やめませんか?」「……」紫藤さんはじっと私を見つめた。なんだか申し訳なくて目をそらした。立ち上がって意味もなく台所へと行ってやかんの水を沸かす。せっかくプレゼントを渡そうと思ったのに完全にタイミングを見失ってしまった。「どうして?」「どうしてって……」紫藤さんは、こういう関係を悪いと思っていないのだろうか。芸能人の間ではあたり前のことなの?「俺としたくないの? 会えない間、ずっとしたかったのに」「会えない間って、先週もしたじゃないですか」「……そうだけど。できれば、毎日でも抱きたいんだけど」言葉を失う。「体を求めるだけの関係は嫌」……なんて言えない。「私は……、私の友達にも会ってほしいです。二人きりでいつもこんなことして……」「友達に
「売れるのは嬉しいけど、自由が無くなっちゃうな。美羽ともっといろいろな所に行きたかったんだけどな。連れ回したら、美羽にも迷惑をかけてしまうだろうから」「迷惑……?」「パパラッチってすげぇらしいぞ」「そうなんですね」芸能人ってプライバシーが無さそうだ。人気があっても制限が多くて大変な職業なのだろう。「ちょっと待って。俺を拒否しようとしたっていうことはもしかして美羽。男、できた?」「いませんよ、そんなの。万が一いたら、紫藤さんとこんなことしませんしお部屋にも入れません」きっぱりと言うと安心したように柔らかく笑った。「じゃあ、あのいかにも男へあげそうな、包装されたのは、なに?」隠しておいたつもりなのに、見えてしまったらしい。布団から立ち上がり取りに行き紫藤さんへ差し出した。「ちょっと早いですけど……。あの、安物なんですけど……。お誕生日おめでとうございます」「俺に?」予想外だったのか驚いた顔をする紫藤さんは、ちょっとはにかみながら受け取ってくれる。「ホームページを見ていたら誕生日があったので」恥ずかしいけど打ち明けるとニコニコと笑っている。「会えない間も俺のことが気になってたってこと?」図星だけど私は首をかしげて適当にごまかした。「見ていい?」「どうぞ」丁寧に包装紙から取り出すと、じっと見つめて喜んでいる。黒い革にシルバーの星がぶら下がっているシンプルなストラップだ。「綺麗だ。美羽、ありがとう。すっごく嬉しい」早速、携帯につけてくれる。キラキラと光る星には、紫藤さんが大スターになりますようにって願いを込めて送ったのだ。喜んでくれたみたいで安心し、ほんわかした気分でいると、紫藤さんの瞳の色が色濃くなった気がした。「こんなことされたら、ますます抱きたくなるんだけど」あぁ私、紫藤さんの恋人になりたいんだ。彼のことが大好きになりすぎて特別になりたいんだ。彼女にしてくださいって、素直に言えたらいいのに。でも……言えない。「美羽、キスしよう」「……」今日も、やっぱり流されてしまう。だって、紫藤さんがあまりにも魅力的なんだもの。紫藤さんの手で体中に触れられると、そこから火がついたように熱くなって火照る。いつも、微熱があるみたいな状態になるのだ。あっという間に一糸まとわない姿にされてしまって、いつも以上にキスマークを
*数日後、真里奈とコーくんカップルが家に遊びに来た。鍋パーティーをするという名目で紫藤さんに会ってもらうためだ。ほぼ準備を済ませて、紫藤さんを待っている状態だった。「そう言えば、仕事って何してんの? 大学生じゃないの?」真里奈が聞いてくる。そういえば、詳しくは言っていなかった。「大学生なんだけど、歌手なの……」「マジ? 歌手ってなにそれ!」コーくんも驚いている。話したことがなかったので突拍子もないことを言っているのではないかと思われるのが心配だった。いつまでも隠しておくわけにはいかないので、素直に打ち明けることにした。「COLORっていう歌って踊れるグループがいるんだけど知ってる?」「うん、わかるよ! え? まさかその中のメンバーとか言わないよね?」「そのまさかなんだ」「嘘でしょ? ちなみに誰なの?」名前を言うだけなのに私は緊張して心臓がドキドキしていた。「紫藤大樹さん」「またまたー。美羽ったら冗談が上手になったのね」コーくんも、ソファーに座りながらクスクス笑っている。誰も信じてくれなくなるほど、COLORは知名度をあげていた。おそらく十代や二十代の人でわからない人はいないくらいになっていたのだ。そんなに有名になっているのに私の友達だからと言って会うのを快諾してくれたのだ。チャイムが鳴った。ドアを開けると紫藤さんだった。背中に感じる真里奈とコーくんの驚いた視線は見なくてもわかる。「ただいま、美羽」当たり前のようにいつも通り抱きしめてきた。「ちょ、友達来ているんですけど」「……え」中へ入っていくと、真里奈が「そっくり」とつぶやいた。紫藤さんは笑顔を作る。「いつも美羽と仲良くしてくれてありがとうございます。紫藤大樹です」丁寧にお辞儀をして挨拶をした。「え、本物?」コーくんが言う。「はい。そうですよ」ハッキリとした口調で言う紫藤さん。「知っていてくださって嬉しいです。ペーペーなんで」笑っている。アイドルスマイルだ。「驚きました。私、美羽と仲良くさせてもらっています真里奈です」「彼氏の幸一郎です」自己紹介を終えるとテーブルに電気鍋を置いて、煮込んでグツグツするのを待ちながら、紫藤さんへの質問タイムが開始された。紫藤さんは、嫌な顔ひとつしないで答えていく。「芸能界でお仕事されているというこ
紫藤さんは、いつも通り優しくて、鍋を取り分けてくれる。私の分だけじゃなくて友達のも全部やってくれた。「美羽、肉団子好きだもんな。あーん」 恥ずかしいけれど口を開けると食べさせてくれた。それからは他愛のない会話をしながらただただ鍋パーティーを楽しむだけ。私もだんだんとリラックスしてきてダブルデートでもしているみたいだと気楽な気持ちでいた。「あの今日私たちがここに来た目的を果たさなければならないと思うのでちょっと真剣な話をしてもいいですか?」「どうぞ」紫藤さんは何を言われても大丈夫だよというように微笑んだ。「紫藤さんは美羽のこと、好きじゃないんですか?」あまりにもストレートに質問する真里奈に慌てふためく私。「真里奈! 変なこと聞かないで。いいの、いいんだってば!」本当の気持ちを知って会えなくなるなんてそんなの嫌だ。絶対に紫藤さんは私のことを好きじゃない。シーンと静まり返る部屋で、紫藤さんはクスって笑った。「真里奈さん、俺は美羽のこと好きですよ」ハッキリとした口調で言った。驚いて紫藤さんを見る。「好きって、どういう意味で? 紫藤さんならモテモテでしょう? 美羽の体目的なら可哀想なんで遊ばないでください。この子、ピュアなんです」「真里奈……」ちょっときつい口調で問いただすように言う真里奈。だけど、紫藤さんはまったく動じない。「女として好きだし、遊んでつもりはないです。美羽は、俺に遊ばれていると思ってたの?」視線を私に向けられて困ってしまい、素直にうなずいた。すると、コーくんが紫藤さんをかばうように笑う。「あーなるほど。男は口下手だからねー。付き合ってると思ってたパターンか」「はい。付き合ってると思ってました」紫藤さんは、苦笑いをした。うそ、つ、付き合ってんの?その場の流れで言ってるとか?信じられなくて頭が真っ白になる。「不安にさせてごめんね、美羽」優しい眼差しを向けられると、ドキドキしすぎて耳が熱くなってきた。「芸能人でモテモテなのに、なんで美羽なんですか?」真里奈は聞きたいことをイチイチ代弁してくれる。それは私も思った。全然美人じゃないし面白い話もできないし、その上料理も下手だしいいところなんて一つもない。「芸能人と言っても、俺は一流じゃないです。たとえ一流だったとしても、俺は美羽しか愛せません。いろいろ話し
真里奈とコーくんが帰って紫藤さんと二人きりになると、壁際まで追い詰められる。先ほどまで穏やかな人格だったのに今ではちょっぴりSキャラになっているのは気のせいだろうか?「付き合ってないと思ってたんだ?」「だって好きだとか言われたことないですし」「……おしおき」額にチュッとキスをされると恥ずかしさと嬉しさで顔が熱くなってくる。「ハッキリと言葉で言わなきゃわかんないか……。美羽、愛してるよ。俺の彼女になって」まるで夢を見ているのではないかと思った。はじめて好きになった人に彼女になってほしいと言われたのだ。「答えは?」「は、はい……! よろしくお願いします」頭を深々と下げた。時計は深夜零時を過ぎたところで、十一月三日になっていた。「今日を付き合いはじめた日にしよう。俺らの記念日」ウエストに手を回しギュッと抱きしめられる。抱きしめたまま頭から声が降ってくる。「付き合いはじめた日にこんなこと言うなんて変かもしれないけど……。今月、十四日にシングルが出たら、きっと売れると思うんだ。赤坂のおかげで。そうしたら思うように会えなくて辛い日もあるかもしれないけど、美羽が大学を卒業したら結婚しよう。それまでひたすら頑張って、地位を確立して、お前を幸せにするから」結婚しようだなんて、そこまで真剣に思ってくれているんだと知って涙が溢れてくる。「紫藤さん」「あー、駄目だ。名前で呼んで」「え?」「俺と美羽は恋人なんだぞ?」名前で呼ぶなんてハードルが高すぎる。困っていると、嬉しそうに私を見つめていた。私が困った顔をするのが楽しいみたい。「じゃあ、大くんでもいいですか?」「いいよ。美羽」「大くん……んっ」紫藤さん、改め大くんは、それはそれは甘いキスをくれた。やっと解放されると、今度はラッピングされたモノを差し出される。私は首をかしげるた。「遅れたけど、誕生日プレゼント」「あ、ありがとうございます」もらえるなんて思っていなかったから、驚く。「開けてみ?」「はい」丁寧に包装紙を外した。細長い箱はアクセサリーが入っていると予想がつく。ドキドキしながら開いてみると、ブレスレットだった。キラキラっと光っていて可愛い。好きな人からこんな風にプレゼントしてもらえるなんて、運を使い果たしたかも。ソファーに並んで座ると、手首をつかまれた。そしてブ
家に戻り、落ち着いたところで携帯を見るが久実からの連絡はない。もしかしたら、両親に会える許可が取れたかと期待をしていたが、そう簡単にはいかなさそうだ。久実を大事に育ててきたからこそ、認めたくない気持ちもわかる。俺は安定しない仕事だし。でも、俺も諦められたい。絶対に久実と結婚したい。日曜日、怖くて不安だったが挨拶に行こうと決意を深くしたのだった。久実side日曜日になった。朝から、赤坂さんが来ないかと内心ドキドキしている。今日に限って、お父さんもお母さんも家にいるのだ。万が一来たらどうしよう。いや、まさか来ないよね。……いやいや、赤坂さんならありえる。私は顔は冷静だが心の中は忙しなかった。もし来たら修羅場になりそう。想像すると恐ろしくなって両親を出かけさせようと考える。お父さんは新聞を広げてくつろいでいる。「お父さん、どこか、行かないの?」「なんでだ」「い、いや、別に……アハハハ」笑ってごまかすが、怪しまれている。大丈夫だよね。赤坂さんが来るはずない。忙しそうだし、いつものジョークだろう。でも、ちゃんとお父さんに会ってもらわないと。赤坂さんと、ずっと、一緒にいたい。ランチを終えて食器を台所に片付けに行くと、チャイムが鳴った。も、もしかして。本当に来ちゃったの?
久実を愛しすぎて、彼女のウエディングドレス姿ばかり、想像する日々だ。世界一似合うと思う。純白もいいし、カラードレスも作りたい。もちろん結婚がゴールではないし結婚後の生活が大事になってくる。つらいことも楽しいことも人生には色々あると思うが彼女となら絶対に乗り越えて行ける自信があった。ただ……俺も黒柳も結婚をすると、COLORは解散する運命かもしれない。三人とも既婚者のアイドルなんてありえないよな。大事なCOLORだ。ずっと三人でやってきた。大樹だけ結婚をして幸せに過ごしているなんて不公平だと思う。あいつが辛い思いをしてきて今があるというのは十分に理解しているから、祝福はしているが、俺だって愛する人と幸せになりたい。グループの中で一人だけが結婚するというのはどうしても腑に落ちなかった。だから近いうちに事務所の社長には結婚したいということを伝えるつもりでいる。でもそうなるとやっぱり解散という文字が頭の中を支配していた。解散をしても、俺は久実を養う責任がある。仕事がなくなってしまったら俺は久実を守り抜くことができるのだろうか。不安もあるが、久実がそばにいてくれたら、どんな困難も乗り越えられると信じていたし、絶対に守っていくという決意もしている。
赤坂side音楽番組の収録を終えた。楽屋に戻ると、大樹は美羽さんに連絡をしている。「終わったよ。これから帰るから。体調はどうだ?」堂々と好きな人とやり取りできるのが、羨ましい。俺は、久美の親に結婚を反対されているっつーのに。腹立つ。会うことすら許してもらえない。大きなため息が出てしまう。私服に着替えながらも、久実のことを考える。久実を幸せにできる男は、俺だけだ。というか、どんなことがあっても離さない。俺は久美がいないと……もう、生きていけない。心から愛している。どんな若くて綺麗なアイドルなんかよりも、世界一、久実が好きだ。どうして、久実のご両親はこんなにも反対するのか。俺に大切な娘を預けるのは心もとないのだろうか。なんとしても、久実との交際や結婚を認めてほしい。一生、久実と生きていきたいと思っている。俺のこの真剣な気持ちが伝わればいいのに……。日曜日に実家まで押しかけるつもりでいた。 強制的に動かなければいけない時期に差し掛かってきている。 苛立ちを流し込むように、ペットボトルの水を一気飲みした。「ご機嫌斜め?」黒柳が顔を覗き込んでくる。「別に!」「スマイルだよ。笑わないと福は訪れないよ」「わかってる」クスクス笑って、黒柳は楽屋を出て行く。俺も帰ろう。「お疲れ」楽屋を出てエレベーターに乗る。セキュリティを超えて ドアを出るとタクシーで帰る。一人の女性をこんなにも愛してしまうなんて予想していなかった。自分の人生の物の見方や思考を変えてくれたのは、間違いなく久実だ。きっと彼女に出会っていなければ、ろくでもない人生を送っていたに違いない。
週末まで仕事をして、金曜日の夜になった。赤坂さんが日曜日に突撃すると言っていたけれど、本当なのだろうか。冗談で言っていると信じたいけれど、彼はまっすぐな性格をしているから、冗談じゃない気もする。でも本当に家に来てしまったら、修羅場になるのではないか。不安な気持ちのまま夕食を食べて、何気なくテレビを見ていると赤坂さんが画面に映し出された。その姿を見るだけで私の心臓は一気にドキドキし始める。すごくかっこいいし、早く会いたくなる。許されるなら同棲をし、今後して、家族になりたい。そんな感情がどんどんと溢れてくるのだ。私の感情を打ち消すかのように、お母さんはさり気なくチャンネルを変えた。「……お母さん」そんな意地悪しないでと心の中でつぶやく。お母さんは小さなため息をついた。そして私に視線を向けないまま口を開く。「忘れるなら早いほうがいいのよ。二番目に好きな人と結婚すると、幸せになるって言うでしょ?」私に言い聞かせるようなそれでいて独り言のような感じだった。「お母さんは、二番目に好きな人がお父さんだったの?」「……」ここほこっとわざとらしく咳をして話をはぐらかされてしまった。お母さんは立ち上がって台所へ行ってしまう。たとえ幸せになれなくても私は一番目に好きな人と結婚したい。反抗的な感情が胸の中を支配していた。
入浴をして自分の部屋に入ると、どっと疲れが出る。 両親は……どうしたら、赤坂さんとの交際や結婚を認めてくれるのかな。 考えてもいい案が浮かばない。 「はぁ……」 赤坂さんに会いたい。抱きしめてほしい。 スマホに着信があり確認すると、赤坂さんだ。 以心伝心みたいで嬉しい。私のスマホに彼の名前が表示されるだけで嫌なことが全部チャラになったような気がするのだ。 慌てて出る。 「もしもし」 『久実、許可は取れたか?』 「あ、うーん……」 『許してくれないか。こうなったら、行くしかないな』 「ちょっと、何を考えてるの?」 『俺は久実を愛してんの。今すぐにでも迎えに行きたい』 これって、プロポーズなのかな。ドキドキして、耳が熱くなる。 今までもプロポーズみたいなことは言ってくれたけど改めて言われると心臓がおかしな動きをする。 「私も、だよ」 赤坂さんを愛おしく思う。 『松葉杖取れたから』 「本当!よかったね!」 『ということで、次の日曜日に突撃するわ』 「はっ⁉︎」 『じゃあな。ちゃんと寝ろよ』 電話が切れてしまい、私は、唖然としていた。 突撃されたら、お父さんは、もっと怒るかもしれない。ど、どうしよう。 冗談なのか、本気なのかわからない。そこが赤坂さんらしいのだけど。 突撃するわ、とか言いつつ、本当に来ないだろうとどこかで思っていた。
一気に部屋の空気が悪くなる。お父さんは無言でグラスのお茶を飲んだ。お母さんは眉間にしわを寄せて小さなため息をつく。散々反対されていたから、いい反応をしてくれないというのは予想ついていた。でも、負ける訳にはいかない。「プロポーズされたのか?」お父さんがいつも以上に低い声で問いかけてくる。怖じけそうになるけれど、私は気持ちを落ち着けて普段話をするように言葉を発した。「まぁ、そんな感じ。私は、赤坂さんがいなきゃ生きていけないの。赤坂さんが挨拶をしたいと言っていたから、会ってもらえない……かな?」お父さんとお母さんが顔を見合わせている。「お願い……。私も大人になったの。だから認めて」箸を止めていたお父さんが食事を再開する。まるで私の話を無視しているかのようだやっぱり、赤坂さんとの結婚はハードルが高い。落ち込みながら、私も食べ物を口に運んだ。味がしない……。きっとショックすぎているからだ。「久実は、自分をわかっているようでわかっていない」お父さんは、厳しく告げる。「自分は、一番自分をわかっているよ」つい、言い返してしまう。お父さんが私をギロッと睨んだ。あまり言い合いをしたくない。関係がこじれたら、もっと話がややこしくなる。部屋の空気が重いまま食事を終えた。
仕事を終えて外に出ると、とっても寒くて、体を縮こませた。 年は明けているけど、春はまだ遠い気がする。春ってなかなか来ないんだよね。待ち遠しい。 電車に揺られて、自宅に帰る。この普通の日常が私にとってはありがたい。赤坂さんが助けてくれたからこそ、こうして生きていられる。 私は、ふとスマホのカレンダーを見た。 来月は美羽さんと紫藤さんの結婚パーティーがあるんだった。 こぢんまりとやると言っていたけど、その中に招待してもらえたので嬉しい。 美羽さんのこと、大好きだし。 赤ちゃん、順調に育っているのかな……。 過去にいろいろあったみたいだから今度こそは絶対に健康で生まれてきてほしいと私も陰ながら願っていた。「ただいま」 家に帰ると、お母さんが作ってくれた夕ご飯の美味しい匂いが漂っている。 「お帰り」 早く、赤坂さんとのことを言わなきゃと思うけど、緊張してしまう。 手を洗ってうがいをしていると、お父さんも珍しく早く帰ってきた。 両親が二人揃っているので、赤坂さんに会ってほしいというには、いいチャンスかもしれない。ダイニングテーブルについて、食事をはじめる。 今日は、お母さんお手製のオムライスとサラダとコーンスープが並んでいた。大好物ばかりなのに緊張して落ち着かない。 「今日は仕事どうだった?」 ……赤坂さんとのこと、言わなきゃ。言わなきゃ。言わなきゃ。 「久実!」 「あ、な、なに?」 お母さんの問いかけに驚いて顔を弾かれたように上げる。 「なんか、変よ」 「そ、そうかな……」 笑ってごまかすがお父さんも不思議そうに覗き込んでくる。これは、チャンスと受け止めるしかない。 「お父さん、お母さん。わ、私ね、赤坂さんと結婚したいの」
そんなことを考えながらスマホを眺めていると……「彼氏から?」同僚がニヤニヤしながら質問してくる。興味津々という感じだ。「まぁ、そんな感じです」私は曖昧な返事をした。人には言えない恋。「どんな人? 誰に似てるの?」身を乗り出し聞いてくる。赤坂さんは赤坂さんであり、他の人に似ているとかない。好きな人が芸能人だとこういう時に、答えに困ってしまう。「そうですね……。うーん……」彼のことを気軽に話せないのが、たまに苦しい。もし週刊誌に撮られてしまっては、赤坂さんだけではなく、COLORのメンバーを傷つけてしまう。そうなると大変だ。自分のせいで迷惑だけは、かけたくない。ちゃんと親の許可を得て結婚するまでは誰にも言えない。外で堂々と会うのも、本当に気をつけなきゃ。『足の怪我が治ってからにしよう』返事をすると、すぐに返事がきた。『すぐ治る。だから、スケジュール聞いておけ。命令』相変わらず、俺様なんだからと……思いつつ、私はキュンとしてしまう。俺様だけど、甘えん坊なところもあるから、私がしっかり支えなきゃ。でも、まずは、両親に報告するのが先だよね。早く一緒に住める日がくればいいな。愛している人とずっとそばにいたい。でも……やっぱり両親のことが不安でたまらなかった。
久実side年末年始をゆっくり休んで、仕事が始まり、そろそろ二週間になろうとしている。赤坂さんと心も体もつながり幸せな毎日で……なんだか夢みたい。夢でありませんようにと、毎日思いながら眠りにつく。私は、ずっと逃げていた。赤坂さんと交際することはいけないことだと思っていたから。けれど、美羽さんから勇気をもらったおかげで、気持ちを伝えられたのだ。お互いの気持ちがしっかりとわかったので、これからは二人で協力してさらに前進していこうと決意していた。今の私にできることは仕事を頑張ること。そして両親に結婚を認めてもらう。そんな気持ちで、今日も、元気いっぱい仕事をしている。パソコンに向かって書類を作りっているのに、ついつい私は赤坂さんのことを思い浮かべて、胸を熱くしていた。……会いたいな。昼休みになり会社近くのカフェで同僚とランチをしていると、赤坂さんからメールが届いた。『久実の両親に早く会いたいんだけど、スケジュール確認してくれたか?』赤坂さんはスネにヒビが入りまだ松葉杖をついて仕事をしている。もうすぐ杖を使わなくても、普通に歩けるようになるらしい。大変な怪我じゃなくてよかったけれど、また怪我をしないか心配になる。私の両親に挨拶をしたいと言われているが、なかなか両親に言い出せない。でも、一歩踏み出さなきゃ、赤坂さんとの未来は開けないのに。両親の反応が怖い。せっかく、ここまで頑張ったのだから勇気を出さないと、本当の幸せは手に入らないよね。